今回は、
✅ 否定文の基礎
✅ 否定文におけるスコープとフォーカス
✅ フォーカスによる解釈の違い
について、一緒に勉強していきましょう。
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例文で学ぶ 日本語文法
否定文の基礎
肯定・否定とは?
否定文は、基本的に述語に「ない」「ません」をつける否定形で表されます。
今から、学校に行く。
日曜なので、学校に行かない。
否定を表す基本的な形式
普通体の否定の場合、述語の種類に関わらず、「ない」を含む形で表されます。
丁寧体の否定の場合、動詞述語だと「ません」「ないです」、イ形容詞・ナ形容詞・名詞述語だと「ありません」「ないです」によって表されます。
否定文におけるスコープとフォーカス
スコープ・フォーカスとは?
例文を使って考えていきましょう。
否定文におけるスコープ・フォーカス
図書館に来なかった。
否定文の基本は、事態の不成立です。
↑の例文の場合、否定の形式は「なかった」ですね。
「来た」という事態が否定されています。
遊びで図書館に来たのではないのだから、きちんと勉強しよう。
↑の例文では、どうでしょうか?
図書館に来た・来ていないで言うと…来ていますね。
否定の形式は「のではない」ですが、「来た」という事態そのものは否定されていません。
この場合、否定されているのは「遊びで」の部分です。
このように、特に否定される部分を「フォーカス」と言います。
それでは、フォーカスはどこから探せば良いでしょうか…?
もう1度、同じ例文で考えてみましょう。
遊びで図書館に来たのではないのだから、きちんと勉強しよう。
否定の形式は、「のではない」ですね。
「来た」という事態そのものが否定されているわけではないのは、前述の通りです。
おそらく、意識しなくても否定の形式「のではない」よりも前の部分に注目したのではないでしょうか?
具体的には、「遊びで図書館に来た」の部分です。
このような否定の作用が及ぶ範囲のことを「スコープ」と言います。
遊びで図書館に来たのではないのだから、きちんと勉強しよう。
という例文であれば、否定の形式は「のではない」です。
この「のではない」の否定の作用が及ぶ範囲を見てみると…
遊びで図書館に来たのではないのだから、きちんと勉強しよう。
のように、「遊びで図書館に来た」の部分ですね。
これが「スコープ」です。
スコープの中で、特に否定されているのはどこかを見てみると…
遊びで図書館に来たのではないのだから、きちんと勉強しよう。
のように、「遊びで」の部分ですね。
これが「フォーカス」です。
否定文では、文中のどこが否定されるかが重要なので
ようにしていきましょう。
否定文以外でのスコープ・フォーカス
学校が休みだから、こんなに子どもが多いのだろう。
この例文は、推量の表現を使った肯定文です。
先ほどの否定文と同じように
① 推量の形式を見つける。
② 推量の作用が及ぶ範囲「スコープ」を見つける。
③ 特に推量される部分「フォーカス」を見つける。
の順に考えてみましょう。
学校が休みだから、こんなに子どもが多いのだろう。
のように、推量の形式は「のだろう」です。
この「のだろう」の推量の作用が及ぶ範囲を見てみると…
学校が休みだから、こんなに子どもが多いのだろう。
のように、「学校が休みだから、こんなに子どもが多い」の部分ですね。
これが「スコープ」です。
スコープの中で、特に推量されているのはどこかを見てみると…
学校が休みだから、こんなに子どもが多いのだろう。
のように、「学校が休みだから」の部分ですね。
これが「フォーカス」です。
ここまでの内容で、「スコープ・フォーカスとは何か?」のイメージがついてきたのではないかと思います。
次のセクションでは、少し掘り下げて見ていきましょう。
フォーカスによる解釈の違い
述語以外の部分もひとまとまりで否定される場合
彼は、勉強しなかった。
述語に直接「ない」「ません」が接続する基本的な否定文では、述語で表される事態の成立が否定されます。
この場合は、「勉強した」という事態そのものの否定ですね。
それでは、次の例文ではどうでしょうか?
彼は、一生懸命勉強しなかった。
勉強した・しなかったで言うと…勉強をしなかったわけではありません。
この場合は、「一生懸命勉強した」の否定ですね。
このように、述語の表す内容を詳しく説明するような述語との結びつきが強い成分は、ひとまとまりとして否定されやすくなります。
多義文になる場合
特に否定される「フォーカス」が一部分だけなのか・ひとまとまりなのかの違いにより、解釈が多義になる場合があります。
彼は、私の目を見て話さなかった。
この例文は、「話しはしたが、私の目を見ていなかった」のか「私の目は見たが、何も話さなかった」のどちらなのかがわからないですね。
これは、どこがフォーカスかの違いです。
A 彼は、私の目を見て話さなかった。
B 彼は、私の目を見て話さなかった。
Aだと「私の目を見たが、何も話さなかった」・Bだと「私の顔を見ずに話した」ですね。
Aは「私の目を見る・話す」が別々ですが、Bは「私の目を見て話す」のひとまとまりです。
「話す」こと自体をしなかったのか・「私の目を見て話す」ことをしなかったかが違います。
このままだとA・Bどちらの解釈になるかはわかりませんが、
彼は、私の目を見て、話さなかった。
のように読点があったり、話すときにポーズがあったりすると、A「私の目は見たが、何も話さなかった」であることを示すことができます。
ほかの例文も見てみましょう。
会場には、100人も来ていない。
この例文は、「出席予定者は●●●人だったが、そのうちの100人来ていない=欠席者100人」なのか「会場内にいるのは、100人より少ない=出席者100人未満」なのかがわからないですね。
「フォーカス」が、一部分だけなのか・ひとまとまりなのかの違いで見てみると、
A 会場には、100人も来ていない。
「来ている」だけを否定した場合、「その数量が多い」という話し手の捉え方を表しています。
「申込は200人だったのに、欠席が100人もいるの⁉」という内容です。
B 会場には、100人も来ていない。
「100人も来ている」をひとまとまりで否定した場合、話し手の見積もりによるおおよその推量を表しています。
「見渡すかぎり、100人はいないだろう」と解釈することができます。
これも、どちらの解釈になるかは、文脈や表現上の強調次第です。
会場には、100人も来ていない。
のように、「100人も」にプロミネンスを置いて発音すれば、A「出席予定者は●●●人だったが、そのうちの100人来ていない=欠席者100人」であることを示すことができますね。
参考書籍
今回は、
✅ 否定文の基礎
✅ 否定文におけるスコープとフォーカス
✅ フォーカスによる解釈の違い
について、解説してきました。
を主に参考にしています。
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