令和4年度 日本語教育能力検定試験の試験問題における
試験Ⅲ 問題4
の解説です。
お手元に、問題冊子をご用意の上でご確認ください。
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問1 授受表現
その答えになる理由
選択肢には、授受動詞として
- くれる
- もらう
- あげる
の3つが挙げられています。
それぞれについて、与え手が主語になるのか・受け手が主語になるのかを見ていきましょう。
彼が私に本をくれた。
の主語は、「彼が」ですね。
彼→私に本が渡されているので、「くれる」の主語は、与え手です。
私が彼に本をもらった。
の主語は、「私が」ですね。
彼→私に本が渡されているので、「もらう」の主語は、受け手です。
彼が私に本をあげた。
の主語は、「彼が」ですね。
彼→私に本が渡されているので、「あげる」の主語は、与え手です。
「くれる」「あげる」は与え手が主語・「もらう」は受け手が主語になりました。
2が正解です。
問2 補助動詞としての授受動詞
解説 補助動詞
【本動詞】
机の上に教科書がある。
【補助動詞】
机の上に教科書が置いてある。
その答えになる理由
下線部Aの例文は、
× 友達が私を助けました。
○ 友達が私を助けてくれました。
のように、「くれる」を補助動詞として使用しないと不自然ですね。
この問題では、場面によっては、補助動詞として授受動詞を使わないと不自然な文になるのはなぜかを聞かれています。
選択肢の内容を整理するだけで解けてしまいますね…!!
- 話し手 → 私
- 「助ける」の与益者(助ける側) → 友達
- 「助ける」の受益者(助けられる側) → 私
話し手(私)は、「助ける」の受益者であり、与益者ではありません。
× 友達が私を助けました。
の場合、話し手(私)が助けられているのにも関わらず、その恩恵を表現できていないことから不自然な文になっていますね。
話し手(私)にとっての受益の意味が表されていないことが理由なので、2が正解です。
2が正解であることからわかるように、1が「与益」が間違っています。
正しくは、「受益」です。
3は、「私」の部分が間違っています。
正しくは、「友達」です。
4は、「友達」の部分が間違っています。
正しくは、「私」です。
問3 本動詞・補助動詞としての授受表現
その答えになる理由
「格のとり方が異なる」というのは、「どの格助詞が現れるのかが異なる」ということです。
例えば、同じ対象の用法であっても
ボールを投げる。
上司に歯向かう。
のように、動詞によって、必要な格助詞は違います。
- 与え手が主語になる動詞を「本動詞」として使った場合
- 与え手が主語になる動詞を「補助動詞」として使った場合
で格助詞がどう変わるのかを見ていきましょう。
問1より、「あげる」「くれる」「もらう」の代表的な授受動詞の中で、与え手が主語になるのは
- あげる
- くれる
の2つですね。
それぞれを本動詞として用いる場合は、
AがBに本をあげた。
AがBに本をくれた。
のように、物の受け手は二格で表されます。
また、それぞれを補助動詞として用いる場合は、
AがBに真実を教えてあげた。
AがBに真実を教えてくれた。
のように、受け手をニ格で表すこともあれば、
AがBを手伝ってあげた。
AがBを手伝ってくれた。
のように、ヲ格で表すこともあります。
これは、本動詞部分の「教える」「手伝う」によるものです。
補助動詞の「あげる」「くれる」がない場合でも
子どもに英語を教える。
宿題を手伝う。
のように、対象は二格・ヲ格で表していますね。
「それぞれの動詞がどの格を必要とするか」がポイントなので、
【一人称】
先生が私を手伝ってあげた。
先生が私を手伝ってくれた。
【二人称】
先生があなたを手伝ってあげた。
先生があなたを手伝ってくれた。
【三人称】
先生が彼を手伝ってあげた。
先生が彼を手伝ってくれた。
のように、人称の影響を受けることはありません。
まとめると、
- 与え手が主語となる授受動詞を本動詞として用いる場合、物の受け手は二格で表される。
- 与え手が主語となる授受動詞を補助動詞として用いる場合、格は授受動詞の前に来る動詞によって異なる。
という内容ですね。
2が正解です。
問4 授受動詞による敬語表現の運用
この答えになる理由
【① 授受表現自体がない場合】
先生、パーティーに来ますか?
↓
【② 授受動詞はあるが、敬語表現になっていない場合】
先生、パーティーに来てもらえますか?
↓
【③ 授受動詞が敬語表現になっている場合】
先生、パーティーに来ていただけますか?
下にいくほど、丁寧な文になっていることがわかります。
①の主語は、「先生」です。
「来る」の動作主ですね。
②③の主語も「先生」です。
ただし、動作主は違います。
「来てもらう・来ていただく」なので、恩恵を受ける話し手が動作主ですね。
元の文では動作主=主語でしたが、授受動詞が使われることで、動作主が受け手に変わります。
③は、動作主が主語になっているわけではありません。
1は間違いです。
また、「来てもらう・来ていただく」の動作主は話し手なので、恩恵を受けるのも話し手です。
先生が話し手から恩恵を受けるわけではないですね。
2は間違いです。
【④ 授受表現自体がない場合】
先生、お荷物を持ちます。
↓
【⑤ 授受動詞はあるが、敬語表現になっていない場合】
先生、お荷物を持ってあげます。
↓
【⑥ 授受動詞が敬語表現になっている場合】
先生、お荷物を持ってさしあげます。
これは、下にいくほど丁寧…という内容ではありません。
むしろ、押しつけがましくて失礼です。
⑤⑥のように、授受動詞があることで、荷物を持つ「私」から荷物を持ってもらう「先生」へと恩恵が発生します。
この恩恵が失礼な印象になっている原因です。
授受表現を使わずに、「お持ちします」などの方が良いですね。
⑤⑥は、「持ってあげる・持ってさしあげる」なので、恩恵を受ける「先生」が動作主です。
主語は「持つ」という動作を行う「話し手」なので、動作主が主語になっているわけではありません。
3は間違いです。
前述の通り、⑥の文が失礼な表現になっているのは、本来恩恵の矢印を向けるべきではない「先生」に対して授受動詞が使われていることが原因です。
「目上の先生」と明示されていることからも、押しつけがましくない表現が好ましいですね。
4が正解です。
問5 同じ事柄を、動作主と受け手のどちらの視点で述べるかによって異なる形式を使い分けるもの
その答えになる理由
選択肢を1つずつ見ていきましょう。
1は、
- 動作主である「師匠」の視点からだと、「教えた」
- 受け手の「弟子」の視点からだと、「教わった」
ですね。
同じ内容なのですが、どちらの視点で述べるかによって、表現が異なります。
これは、例として適当です。
2は、
- 動作主である「話し手」の視点からだと、「褒めた」
- 受け手の「弟」の視点からだと、「褒められた」
ですね。
同じ内容なのですが、どちらの視点で述べるかによって、表現が異なります。
これは、例として適当です。
3は、動作主が明示されていないので、仮にAさんとしましょう。
Aさんが思いを表した。
Aさんにより思いを表された。
となり、動作主が共通していて、受け手は存在しません。
そもそもの視点の内容になっていないですね。。
これは、例として不適当です。
4は、
- 「家を提供する側」からの視点だと、「貸した」
- 「家を提供される側」からの視点だと、「借りた」
ですね。
同じ内容なのですが、どちらの視点で述べるかによって、表現が異なります。
これは、例として適当です。